後集124 何をするにもいろいろと考察しながら

後集121-134

起 原文

栽花種竹 玩鶴觀魚 亦要有段自得処
若徒留連光景 玩弄物華 亦吾儒之口耳 釋氏之頑空而已
有何佳趣

花を栽え竹を種え、鶴を玩び魚を観るも、亦段の自得する処有るを要す
若し徒らに光景に留連し、物華を玩弄せば、亦吾が儒の口耳、釈氏の頑空のみ
何の佳趣有らん

段(だん)の、一段の、ひとつ;留連(りゅうれん)、夢中になる;玩弄(がんろう)、遊び道具としてもてあそぶ;口耳(こうじ)、口耳の学問、身に付かない学問、受け売りの学問;頑空(がんくう)、誤った見解

承 意訳

花や竹を植えて、鶴や魚を鑑賞しても、一つ心に得るものがあるようにすべきです

もしも単に景色に夢中になり、華やかさを弄ぶのであれば、儒教者の「身につかない学問」、釈尊の「空に拘るだけの偽り」に近いものがあります

何の趣きもありません

転 別視点

人間は考える葦ということです

外観を感じるだけでは、それは何にもあらない

その外観を見ながら、何かを考えることが重要です

それがなければ、ただのでくの坊であり、人間たる所以がなくなります

結 まとめ

ぼーっとしてないで、いろいろと考えながら生きていこう

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